獅子舞とお囃子:目次

真鍋二丁目には,「乱舞」と「昇殿の舞」という2種類の獅子舞囃子があります。 また,「撒喜利」という1つの締太鼓囃子があります。それぞれのお囃子について,以下で詳しく紹介致します。


 

その1:乱舞(らんぶ,らんまい)

乱舞とは,「乱れて舞う」と書くように,勇猛で迫力のある舞です。 獅子は,龍や鳳凰などと同じく伝説上の生き物であり,中でも獅子は強さの象徴とされています。 獅子が舞うことは,邪気・魔除けの意味合いを持っています。また,獅子舞は露払いの大役であり, 祭礼の無事を祈ると同時に,御神輿に乗った神々の御霊を守る役割を果たしています。 露払いとは,その文字の通り,朝露に濡れた草木で殿様や位の高い人の着物を濡らさないように, 弓で露を払っている姿です。この姿が後に,魔除けの意味を持つようになったそうです。

真鍋二丁目獅子舞保存会が伝承している乱舞は, 1981年(昭和56年)に茨城県石岡市・土橋獅子舞保存会 (当時会長は,川崎秀昭氏)の特別許可のもとで伝授した舞で御座います。 二丁目獅子舞保存会が結成された1976年(昭和51年)からこの年までの間は, 石岡市金丸囃子保存会より伝授した乱舞を演舞しておりました。

※二丁目の乱舞の変遷についての詳細は,当 HP の「沿革」のページをご覧下さい。

実は乱舞の動きは,大きく分けて2つの場面に分けられます。
第一に,獅子が体を大きく起こし,耳を立て,顎をひき,辺りを見渡しながら勇ましく動き回る様子は, 邪気や悪霊を探している獅子の姿を表現しています。このとき,大太鼓と小太鼓は「ダン,ダン,ダン,ダン,...」という具合で 一定のリズムで音を刻んでいます。
第二に,獅子が体勢を一段と低くして,たてがみを振り乱し, 頭部を左右に回転させながら決して後退せずに勇猛に前進し続ける様子は, 見つけた邪気や悪霊を勇猛に追いかける獅子の姿を表しています。
乱舞を舞う人間は,これらの動作を含めた元来口伝されてきている基本所作を身につけ正しく表現できて, 初めて一人前となります。

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その2:昇殿の舞(しょうでんのまい)

昇殿の舞」は,全国の神社及び神宮に何らかの形で存在します。 その形は様々であり,日本舞踊や民謡,人形劇のような形式で存在する地方もあります。 昇殿の舞の起源は明らかではありませんが, 神様を御神輿に移す際に行われる特別な獅子舞として崇められていました。 この舞が奉納される際には,見物人は御神輿や獅子頭より高い位置にいることは許されず, 木や塀に上がっている見物人は直ちに降りるように注意されるほどの徹底ぶりであったそうです。


茨城県指定民俗無形文化財に登録されている石岡市土橋町が伝承している昇殿の舞は, 伝統ある非常に格式高い舞として知られています。 石岡市で毎年秋に執り行われる常陸國総社宮大祭(石岡のおまつり)での神事の際や, 日頃お世話になっている町内や家などの特別な場所で披露されます。 常陸國総社宮では,元来様々な昇殿の舞や奉納の舞が披露されていましたが, 長い年月の経過とともに継承者が減少し,多くの舞は伝承が途絶えてしまいました。

現在では,富田町のささら,土橋町の昇殿の舞と乱舞, そして仲ノ内町の乱舞,といった3町内の舞が露払いの筆頭とされて奉納されています。 しかし,これらの格式高い獅子舞の中でも,「昇殿の舞」として今日まで伝承しているのは土橋町だけなのです。


土橋の昇殿の舞は,許可なしに真似をすることや,部外者へ教えることが禁止されています。 しかし,真鍋二丁目獅子舞保存会は,土橋獅子舞保存会の会長であった川崎秀昭氏との御縁があり, 1982年(昭和57年)に石岡市常陸國総社宮の境内の舞台において, 土橋獅子舞保存会から特別に昇殿の舞を伝授した次第で御座います。


乱舞と同様に,真鍋二丁目が伝承している昇殿の舞の所作についても謂れがあります。
獅子を正面からみて右側に持つ鈴を鳴らすことにより福を呼び,左側にもつ幣束は邪気や悪霊を絶つ意味があるそうです。 地方によっては幣束ではなく刀剣をもっていることもあります。 安倍晴明で有名な陰陽道では,節分の豆まきで「鬼は外,福は内」というのと似ています。
一方で,土橋町の昇殿の舞や二丁目の昇殿の舞が雌の獅子によって舞われる理由は不明です。

※昇殿の舞については,当 HP の「沿革」のページで詳しく紹介しています。


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△真鍋二丁目の「昇殿の舞」初披露の様子
(真鍋鹿島神社への奉納写真より)



 

その3:撒喜利(さんぎり)

撒喜利は,事の初めや終いに囃す締太鼓であり,無事安全祈願の意味合いがあります。 これと同様な意味合いを持つお囃子は日本各地で見られますが,囃子の形態は様々であり, 呼び名も「サンギリ」や「砂切(しゃぎり)」など地域によって異なります。

真鍋二丁目獅子舞保存会は,1979年(昭和54年)に茨城県指定民俗無形文化財「泰輔ばやし」(当時会長は,篠塚和夫氏) により直々に撒喜利を御指導して頂きました。そして,「獅子囃子用の大太鼓と小太鼓で叩いてより映えるように」と, 泰輔ばやしの撒喜利に篠塚氏の特質を少々加味して完成させたものが,現在二丁目が伝承している「泰輔流撒喜利」, 別称「二丁目ばやし」です。
ここで,この泰輔ばやしは,石岡の元祖・三村ばやしの会長から後継を唯一直接託された篠塚氏らが 1973年(昭和48年)に結成した会です。 したがって,真鍋二丁目獅子舞保存会が伝承する「泰輔流撒喜利」は, 元祖・三村ばやしの流れをほとんど形を変えることなく受け継いだお囃子であると解釈することができます。

二丁目の撒喜利は,テンポの速い元祖・三村ばやし系統のものでありながら, 祭り特有の華やかさと哀調を兼備した二丁目独特の調子であります。 また,撒喜利は中太鼓(または大太鼓)と小太鼓で囃され,笛を伴わないのが二丁目の撒喜利の特徴です。 撒喜利を行うメンバーによって鉦を伴うときと伴わない場合があります。

※撒喜利については,当 HP の「沿革」のページもご覧下さい。

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△真鍋二丁目事務所前にての「撒喜利」披露の様子



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